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近畿生コン関連協議会

インタビュー・対談

生の声から、生コン業界動向や気づきを読み取る。

生の声から、生コン業界動向や気づきを読み取る。

  1. 神戸みなと建設協議会 山田 高広 会長

2018.06.25

神戸みなと建設協議会 山田 高広 会長

神戸港、瀬戸内海の10年後、20年後の姿を見据え、「労働者は家族だ!」の合言葉と「世のため、人のため」の志を胸に、新時代の事業基盤づくりに挑む。

山田 高広(やまだ たかひろ)
神戸みなと建設協議会会長
全日本リトルシニア野球協会神戸中央シニアチーム監督
(株)共栄開発 代表取締役社長

神戸が拓く、業界の開港

10年後、20年後のために

神戸みなと建設協議会、山田会長にお話を伺います。よろしくお願い致します。神戸みなと建設協議会というのは、名前の通り、神戸の港や建設に関わる会社の人たちの集まりということですか。

そうですね。

神戸みなと建設協議会の歴史はどれぐらいになりますか。

形となったのは、実は昨年からなんです。ただ、いままでも有志が集まって、神戸がこの瀬戸内全体の建設業のパイオニアといいますか、神戸を中心にいろいろ矛盾点を解決したり発信したりしてきたものですから。形として立ち上げたのは去年なんですけど、本当に5、6年ぐらい前から、そういう活動はずっとしてまいりました。

その立ち上げるきっかけ、というのはあったんですか。

私、業界のなかでは群を抜いて年が若いのです。語弊があるかもしれませんけど、ご年配の方々の中には、未来を見据えずに仕事をするものですから、10年後、20年後のことを考えると、それでいいのかなという矛盾がすごくありまして。いまでも群を抜いて年が若い、諸先輩方ばかりの有志の集まりなのですが、本当に未来を見ない人が多かったので、10年後、20年後のために、このままいったらこうなるんじゃないかという疑問点を話し合うような、そんな場として勝手にできあがっていきましたね。

今年、神戸といえば、『神戸開港150周年』ということで、節目の年でもあったと思います。それに向けて港に関わる建設業界の方も、動きとしてはいろいろあったのでしょうか。

いや、150周年の港の開港うんぬんというのは、当然地元の人間としては喜ばしいことなんですけれども、われわれ建設業界にとっては、別に150周年のための何か仕事があったかとか、それはなかったものですから。150周年と、われわれの協議会というのは、直接的な関与というのはありませんでしたね。

それよりも、今年度からですが、湾岸の九期が着工しますので、それの準備といいますか、施工の検討、いろいろ懸念すべき問題点というのをいま話し合っているところですね。

業界としては、今年ぐらいからどんどん忙しくなってくるというか、稼働率が上がってくるということですか。

そうですね。

神戸は、阪神・淡路大震災も経験しています。業界のほうでは災害後、何か変わったことろはありましたか。

私自身は震災の時にはまだ20歳だったものですから、仕事としての直接的な関与はないんです。震災のとき、すでにわれわれの業界は競争・淘汰の時代のなかに入っていました。われわれの業界というのは、その競争・淘汰の時代のなかで、新しい船をつくることもできなかったし、技術的な部分を向上させるための費用、そこにお金をまわすということもできませんでした。人材を育成する余裕もない、そういう競争のなかで、ずっとこの20年以上きました。コンクリートの業界とは違って、われわれの業界は本当に利益がないといいますか、削るものを削ってなんとか生き延びていかなければいけないということでやってきましたので、震災があって何かわれわれの業界の技術が上がったとか、ターニングポイントになったのかっていうと、それは全くないですね。

震災とは関係なく、この20年ぐらいはずっと大変な状況だったんですね。そんな中でも徐々に、大きくなっていったというか。

いやもう本当にね、私がその5、6年ぐらい前に、このままでは人も船も技術も、すべて日本からなくなるんじゃないかと。港湾のほうもいつまでこの競争を続けていくんだというので、それが元々のきっかけだったんですよね。であれば、船業の方々みな力を合わせて、人材の育成であるとか、新しい船を新陳代謝させていく。そういうようなことをしていかないかぎりは、10年後、20年後、大阪の海に船が浮かばない。作業する船がなくなってしまうんじゃないかということが(本当に心配ごとで)、もともとの、5、6年前にそういう話し合いをするきっかけになりましたのでね。

それでは、業界が抱える問題としては、人手不足とか人材不足、あと技術不足ということが挙げられますか。

そうですね。船種(船の種類)にもよるんですけど、神戸の場合は震災よりも、神戸空港のほうが需要があったんですけど、それからもう20年経つんですよね。この20年間全く、一隻もつくっていない船の船種もあるんです。当時は百隻ぐらいあった土運船といわれる、石を運んだり土砂を運んだりする船が百隻以上、この家島、兵庫県にはあったんですけど、いまはもう十隻ほどしかなくて。その十隻も、もう築20年以上の、いつ廃船してもおかしくない船しかなくて。

だから、いまわれわれが関わっている大きなプロジェクトがあるんですけど、正直いまのシステムであれば、ただ仕事をこなすだけで新しい船は生まれないし、人材の育成もできないし。震災のときと一緒ですよね。ただ仕事をこなすだけで、それだけの競争・淘汰の、いわゆる最低限の賃金でやってますから。それでは業界は5年後、10年後、結局は『ツケ』を先送りにするだけで、何の解決にもならないですね。

もちろん日本全体で見て、年々少子化が進んでいるということもあると思うんですけれども、やはりその人手不足、人材不足、技術不足になっている原因というのに、賃金の問題というのも山田会長から見て大きいと思いますか。

基本的にはもうそれしかないんです。企業が競争に勝つためには、人件費を削って、技術的な費用も削って削って削って、もう丸裸にして、それじゃないと競争に勝てなかったわけですよね。そのなごりがいまでもずっと残っていましてね。本当に、船員さんの給料なんかでも、これでは家庭を持って子供を育てていけるような賃金にはなってこないですね。そんな業界に、これだけ少子化が進んで、楽な仕事も、コンピューターうんぬんという時代もあるなかで、我が家に一人男の子がいるかいないかの時代のなかで、息子を船員にさせるんだっていう人いないですよ。

そうですよね。業界として、魅力をもっと増していかないといけないということですね。

そうですね。船員さんのステータスをきちっと上げてあげるということと、やっぱり賃金も上げてあげないといけないこと。われわれ建設業の仕事というのは、パソコンなどを触って机の上でマネーゲームをしてお金を稼ぐ業態じゃないですから。どこまでいっても汗かいて、力仕事というのは、これは絶対なくすことはできないんですね。ここにわれわれはプライドも自負も持っているわけですから、それはいいんですけれど、せめてそれに対価を与えてあげないと、なかなか難しいのかなと思いますね。

業界の未来のために、できることはやっていきたい

神戸みなと建設協議会のなかで、本当にいろいろな方が関わっていると思うんですけれども、山田会長がそういう呼びかけをしたときに、反応はどうですか。

呼びかけるというよりも、「神戸でこういうことを言っている若いやつがいるぞ」みたいなので、5、6年ぐらい前からうわさがどんどん広がって。いろいろな方が、「ちょっと一度会ってみたい」ということで、いまは本当に、九州・下関・広島・高知・香川・徳島。いろいろなところの、いわゆる力のある船業の方々が、いま神戸に、この協議会に賛同していただいて、メンバーにも入っていただいて。だから、神戸の業者だけじゃないんですよ。『神戸みなと建設』と書いていますけれど、最終的には『西日本みなと建設』とか。そういう形でワイドにしていかないといけないかなとは思うんですけれど。

やっぱり皆さんご年配なので、先ほども言ったように、人材が育たない業界だったものですから。なかなか、若手で「よし、世のため人のためにやるぞ」とかね。いまどきの若い子というのは、私もそういうところが昔はあったのかもしれませんが、合理的に人を扱うといいますか。モノを扱うかのように人を扱う若い経営者が多いですから。そういう意味では神戸のこれからをどんどん発信していって、業界の未来のために、できることはやっていきたいなと思います。

労働者は家族だ

山田会長ご自身が考える健全な労使関係ということに関しては、どういうお考えですか。

いままでは、いわゆる船業ですね。船業の経営者と労働者の関係というのは、そこだけが労使関係のクローズアップされるところだったと思うんですけれど、われわれの業界というのは、この船業自身が競争・淘汰のなかで体力を失って、労働者を大事にすればするだけ競争力を失ってくるんですよね。生き残っていこうと思ったら、労働者のポケットの中に手を突っ込んででも、お金を取り上げないとわれわれは残っていけない。そんな業界だったわけです。

でも、いま神戸からそういうのを発信しているのは、労働者のためにも、われわれ船業が結束をして、行政やゼネコンというところに陳情、訴えをして、労働者のために、われわれ船業の経営者が力を合わせるんだという時代になっていると思うんですよね。

結局は、会社に力がないと労働者も守ってやれないということなんです。いままでの時代は、船業の社長や経営者ばかりがお金儲けできて、労働者に配分されない。そのなかで労使の抗争というのがあったと思うんですけれども、もういまはどっちが勝つということはないと思うんです。労働者が会社のなかで強くなりすぎれば、その会社は衰退します。労働者が弱くなれば、その会社は結局は物事を履行する力を失うわけですから、人が入ってこない。

人気がなくなれば会社は潰れるんですよ。だからもう、これは対のものです。

そういう考え方で、いまわれわれの協議会のメンバーの経営者は、「労働者は家族だ」と。「守ってやらないといけない。そのためにはわれわれが強くならないといけないじゃないか。でも個社じゃ弱いので、われわれが力を結ぼうじゃないか」という考え方ですよね。それが次世代の建設業における労使関係の健全な形じゃないかなと、私は思います。

これからは保持の時代

労使関係のお話になりますと、労働組合というものが出てくると思うんです。労働組合に関しては、山田会長はどうお考えになられますか。

高度成長のなかでの時代の産物だと思うんです。当時はそういう必要性があったので、道理的にできあがったのが労働組合だったと思うんですね。いまでもそうですけれども、大企業やゼネコンは儲かって業績は上がっていっても、中小の下請けさんは儲からない。やっぱり時代のタイムラグがあるなかで、高度成長のときも労働者の方々の声というのはなかなか届かなかった。時間がかかったと思うんですね。そのなかで、できあがったのが労働組合だったんじゃないかな。時代の産物だったと思います。

そのなかで時代は高度成長から今度は淘汰の時代になって。私はいつも建設第三期だと言うんですけど、これからは保持の時代なんですね。もう一度隆盛が起こることもないですし、これ以上衰退するわけにもいかない。これからは保持の時代のなかで、形がまた違う新たな労使関係というのが、道理として出来上がってくるんじゃないかなと思います。

だから、高度成長から淘汰の時代のなかで、高度成長のときのような労働組合の手法では、この競争・淘汰の時代は、見る方が見ると悪に見えるところもあったんだとは思います。

そうですね。いまも一部で過激なというか、ちょっと暴走しているような労働組合もあって、それでいい時代もあったけれど、これからは考えていかないといけないということでもありますよね。

そうですね。客観的に見れば正直どっちもどっちな部分はやっぱりあったと思うんです。労働者をむげに扱った間違った経営者もいただろうし、暴走してしまった労働者もいたわけだし。それが全ての労働組合がそういう印象を持たれたり、全ての会社の経営者がそういう印象を持たれたり、業界全体をそういうような目で見られることというのは非常に心外だと思います。それは一部であって、どっちもどっちだったというふうには、私は正直思っているんですよね。

業界の展望について

神戸みなと建設協議会の展望であるとか、業界がどうなっていくだろうというお話が出るかと思うんですが、いかがでしょうか。

経営者の先輩方は、「どうなるんだろうか」とみんな言うんです。どうなるかは見えているんです。分かっているんです。このままいけばこうなる。われわれとしては、「どうなるんだろうか」という考えじゃなくて、「こうなるから、いまこうしなきゃ駄目でしょう」と。

私は「政治的に動かしていこうよ」という前向きな考え方なので。このままいくと間違いなく5年後、10年後、われわれの業界は完全に衰退をするので、労働者の方々、特に船員さんから見て非常にステータスを感じる魅力的な業界であるんだと。その形をどうつくるのか。行政の陳情であるとか、われわれでいうマリコンのほうにでも、われわれの陳情とかを。ただ陳情するだけじゃなくて、きちんとした手段で形にしていってということが、私にとって重要な責務と思います。

まさに先を見据えて、いま働きやすい環境、人が集まってくるような環境を固めているような感じですね。

そうですね。でももう、業界全体がすごく悲観的なんですよ。これで、神戸から発信しているこのシステムがうまくいかなかったら、もう瀬戸内全体で、われわれの業界は衰退の一途は止まらないだろうな、これで淘汰の波が止まらなかったらもう駄目になるぐらいの緊張感は皆さん持たれています。

なるほど。最後の砦みたいな感じですね。このインタビューは、「結」という業界誌を創ろうという企画で、今、インタビューをさせていただいているんですけれども、創刊号の発刊にあたって、一言メッセージをいただけますでしょうか。

私たちの業界は、『海の建設業』でありまして、海の建設業というのは自衛隊とまでは言いませんけれども、(やはり地震があった)近年では南海トラフの懸念もありますよね。津波があるかもしれない。そうなったときの復興であるとか。地震が来るんじゃないかというなかで防災であるとか。また、震災のときもそうでしたが、船を使って救援物資を輸送したりとか、国家にとっても必要不可欠な業種だと私は自負しているんですね。

この冊子が、これからいろいろな方に取材をされたりするなかで、われわれ全員が、自分のところの業界の繁栄のためだけじゃなくて、その業界の繁栄が、たとえば日本国民のためであるとか、国家のためになるんだというような方向性だけは皆さん持ってもらわないと、自分のところだけでは、なかなか正義として皆様には伝わらないのかなと思います。

今日は神戸の港の建設にまつわる話を伺おうと思ったら、この国の未来まで話がとんで、すごい。

いや、そうではないんですよ。そこに大義がなかったら、われわれの主張は、いままでのそういう不当要求者と同じような目で見られてしまうので。われわれのやっていることが、われわれのためだけじゃなくて、いろいろなことに波及するんだよと。われわれも必要なんだよということを一緒に考えてもらわないと、われわれの主張に正義がなくなるんじゃないかなと思うんですよね。

今日は神戸みなと建設協議会、山田会長にお話を伺いました。ありがとうございました。

ありがとうございました。

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