推しプラ
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
2023.08.22
生コンワーカーの目線で、近畿地域の<イチ推し生コンプラント(工場)>をご紹介する、新企画『推しプラ』。Vol.4は、広域協組・南ブロックの< (株)西野建材店>(以下、同社)だ。
企業の特長を語るのに、大きく影響するのが、経営者の個性ではないだろうか。同社はまさに、その代表格と言えるかもしれない。
代表取締役社長の植田浩司氏は、元看護師という異業種からの転身で、お若いころは地元の<だんじり祭>で前てこ(前コマ(前輪)と地面の間に梃子(てこ)を差し込み、だんじりの舵取りをする重要な役目)を務められ、趣味で名古屋コーチン、烏骨鶏、アローカナなど30羽ほどの鶏を飼育。また折にふれて四国八十八ヶ所を巡られ、先日、18周目を終えられたという、とにかくユニークな方だ。
同社のプラントは、<推しプラ>の初回に登場していただいた(株)戎生コン(堺市)と同じく、<だんじり祭>で知られる泉州地域のど真ん中、住宅地のなかに企業や工場・倉庫などが混在する岸和田市に立地する。
同社は昭和37年(1962年)に創業された。当時は泉州綿織物の工場と、特産のタマネギなどの畑が広がる土地で、都市化の需要拡大に合わせて砂や砂利、鉄筋などの土木建設資材を販売する個人商店として事業をはじめられた。1967年には生コンクリートの製造販売事業をスタート。高度成長期の需要を基盤に、大阪万博の特需が重なり大きく成長された。その後、建材部門は廃業され、生コンの製造販売一本に絞られて、現在に至っている。
「整備されてない道を岸和田から千里まで、オート三輪で夜中まで何度も往復したと聞きました。当時は儲けたらしいですよ(笑)」。植田氏は、先代の西野昭治社長から聞いた、当時の繁盛ぶりを振り返ってくれた。
植田氏は高校卒業後、一般企業に2年間務めた後、看護師の資格を取得し、長く病院に勤務。最終的には病棟主任まで務めたが、親戚筋に当たる西野前社長から事業継承を頼まれ、未経験であるにも関わらず、生コン業界に飛び込んだ。従業員の時代を経て2001年に社長に就任された。
ご存じの通り、当時の業界は、各社が安値でしのぎを削る過当競争の時代や、特需で比較的安定した時代と、景気が上下を繰り返すなか、厳しい時代を過ごされた同社は、もともと旧広域協組のメンバーで、2015年の大同団結でバージョンアップした広域協組に継続加盟、現在に至る。これにより、現在、同社の経営は、大半となる広域協組からの受注と、地元岸和田市近辺のスポット受注で、安定している。しかし植田氏が喜ぶのは安定だけではない。「なにより、製品である生コンの品質が安定したことがいちばんうれしい。自分たちは、地元の人々の暮らしの基盤づくりを担っている。質の悪い生コンを出したら、地元の人に申し訳ない」。過当競争を生き抜いてきた植田氏だからこそ、安定の本当の意味が身に染みて分かるのだ。
また同社は2006年から、生コンの製造販売に関連して、<企業組合トランスポートM>という運送会社も経営されている。「昔は、仕事が安定していなかったから、たとえば、たまたまウチは外から生コン車を借りなあかんほど忙しいときに、隣のプラントは暇にしている。それなら仲間内で各社が持っている生コン車を貸し借りしようや!ということで始めた助け合いみたいなもんです。よそで車を頼むんなら、南ブロックの仲間内で回せば、身内にお金が落ちる。生コンも安く、出荷量も少ない時代の苦肉の策ですわ」。そのうちお仲間も廃業や専属の運送会社を持つなどで、最後まで残った同社が引き受けた。社名の<M>は南ブロックの頭文字。今でいうところの<シェアビジネス>のはしりだ。
このようにして、時代の流れに翻弄されながらも、仲間や地域とのつながりを大切にしながら、現在も、岸和田で暮らす人々のインフラづくりに貢献している。
所在地 | 大阪府岸和田市西大路町218-1 |
---|---|
設立 | 昭和37年4月3日 |
代表取締役 | 植田 浩司 |
社員 | 10名・パート2名 (運送会社社員含む) |
出荷量 | 約20,000㎥/年 |
ミキサー | 1基(3,000L) |
生コン車台数 | 業務委託 (企業組合トランスポートM 10t車8台・8t車4台・5t車2台) |
●代表取締役社長 植田浩司氏
●総務部 西田良さん
先にも述べたが、同社のある岸和田市は<だんじり祭>の中心地。植田氏ご自身、地元では子供のころから祭りに参加し、歳を重ねるごとにさまざまな役をこなされ、だんじり曳行の最高責任者である<曳行責任者>まで務めてこられた。つまり、地域の老若男女、多くの人を知っているし、また地域の人々から知られてもいる。言わば普段の生活から地域貢献をしているようなものだ。
もちろん会社でも地域とのつながりを大切にしておられる。
「ウチも西大路町の町会に入ってますから、盆踊りとか祭りのときには、もちろん寄付をしていますよ。あと、青年団や、もう少し年配の方の団体にも寄付をしています。まぁ、たいへんですけど(笑)、でもまぁ、自分も祭りは嫌いじゃないから構いません」と、笑顔をみせる。そして現在は安全上の問題でできなくなったというが、昔は寄付だけでなく、だんじりの方向転換をするのに、同社の工場の敷地内を解放していたそうだ。さすが、祭り好きの植田氏らしい地域貢献だ。
また最近は、社内に設置した防犯ビデオで、前の橋を通る歩行者や車両が映るのだが、それが役に立った。「実は先日も、『この北のほうで自動車の窃盗があって、犯人がこの前を自動車で逃げているらしいので、防犯ビデオを見せて貰えませんか』と、警察が来たんです。ドラマみたいでしょう?」。つまり防犯ビデオの設置が、自社だけでなく、地域防犯にも一役買っているのだ。
毎朝始業ミーティングを行う、安全パトロールを実施するなど、安全について、さまざまな対策をしているプラントは多い。もちろんこれらは、企業としてたいへん素晴らしいことだ。同社でも、始業ミーティングで侵入経路の確認などを行っている。しかし実際問題として、それだけでは、なかなか安全は確保できない。
「安全対策というのは、結局その人の意識の問題やから。普段の会話のなかで安全について話すのに加えて、毎年、正月や盆休み前とか、皆が集まったとき必ず言うのは、とにかく安全に。運転手さんも安全、製造も安全。焦らんでええから確実に。別に現場から『まだ来てない』って言われても、焦る必要はない。なにも遊んでるのと違うんやから。仕事遅いから、運転が遅いからって、ウチでは誰も怒れへんよ。それより慌てて、事故起こすほうが自分は怒るでって言うてます」と、植田氏は声を大にする。焦らず、確実に仕事をすることが安全につながり、品質や信頼につながる。経営者のなかで、これを言い続けている人がどれほどいるだろうか。
さらに、植田氏の本気度を知ることができたのが、AED(自動体外式除細動器)の設置だ。この業界で、プラントにAEDを置いている会社は珍しいのではないだろうか。もちろん、植田氏が看護師としてキャリアを積んで来られたことも理由のひとつだが、きっかけはほかにあった。
「ある日、仕事中に従業員が『人が倒れてて動かへん』と言うてきたんです。で、会社の前の橋のたもとを見たら工事の作業員が倒れていた。すぐ社員に119番に電話させて、救急車が来るまでの間、脈をとって心臓マッサージをしたんです」。元看護師だけあって、さすがの対応だ。5分ほどで救急車が到着したため後を任せたため、結局その作業員の安否は分からなかったが、このとき植田氏は、すぐ会社にAEDを置くことを決めた。そのときはたまたま外部の人だったが、もし自社の従業員が倒れたとき、仲間に救急対応ができたら、助かる確率はぜったい上がる。それにはAEDがあったほうが良い。これ以降、同社では従業員が、AEDを使うための講習を受けている。
このほか、異常気象が続く昨今の作業環境に配慮して、いちはやく夏の空調服や冬の電熱ベストを会社から支給するなど、とにかく従業員の健康管理には心を配られている。働く者としては、本当にありがたいことだ。
従業員がいちばん気になるのは、やはり働きやすさだ。そのことについてうかがった。
「組織はやっぱり<人財>。人が大事なんです。考えてみてください。大型免許を持ってない新人に免許を取らせて、仕事を一から教えて、一生懸命育てた人財が、やる気をなくしたり、辞めたりすることもある。そうしないためには、それなりに気を使わないと」と、植田氏は語る。
まず、働く者としてありがたいのが、世情の流れを汲んだ昇給だ。
植田氏は、「ウチは去年の決算の後と、今年の2月あたりの2回上げたよ。給料は、一度上げたら下げられへんねん(笑)。テレビが大企業の昇給の報道をするからやん」と、お道化て泣き真似をするが、顔は笑っている。もちろん、昇給が永遠に続くことはないとは思う。しかし厳しい時代を経験された同社だからこそ、できるときには、できる限り従業員に手厚くすることで会社は上向く。それが同社の方針だ。
さらに昇給のほかにも、折にふれて会社から地方の特産品などのプレゼント(社長の育てる鶏が産んだ新鮮な卵も)や食事会、慰安旅行(コロナ禍は除く)など、従業員は、さまざまな法定外福利厚生を享受できる。これは「会社はとにかくアットホームな雰囲気に。気持ちよく一緒に働いて、楽しいことも皆で一緒に楽しみたい」という、植田氏の思いが強く反映されている。
環境への配慮についても、同社は独自のやり方を展開している。そのひとつが、2021年9月に資材ヤードの屋根の上に設置した<太陽光発電設備>の導入だ。
「時代に即した工場ということで、やっぱり環境のことも考えんとね。それで太陽光発電設備を付けました。実は自宅にも付けているんです。でも良かったですわ。電気代が今のように値上がりする前やったから、我ながらええ勘しとったなと(笑)」。植田氏が喜ぶのも分かる。平日に発電した電気は、工場の使用電力の一部として全量使用し、休日に発電した分は関西電力に売っているという。環境に配慮しつつ、経費節減のメリットも享受する。まさにエコ(エコロジー)とエコ(エコノミー)の両立だ。
このほか同社では、水の循環にもこだわっている。生コン車の洗浄水処理を<絞り機>を使って浄化しているそうだ。
人や地域にやさしい眼差しを向ける植田氏は、将来に対して、どのようなビジョンをお持ちなのだろう。
「自分は大儲けしなくても、皆でワイワイ言いながら、仕事ができたらええんです。けど、これからの工場は、新しい時代に即した工場にせなあかん。自分はもう60歳を過ぎてるから、実務的なことはもう息子や若手社員に任せてる。現場は年寄りが幅きかせとったらいかん。ただ、しっかり守るところというか、お金のことや従業員のこと、外向きのアピールや折衝とか、そこまでやらせるのは、まだ負担が大きいと思うから、その部分はまだ自分がやる。タヌキ親父が必要なときもあるんです(笑)」。なるほど、事業継承は成功しつつあるようだ。さすが祭りでだんじりの舵を握っていた植田氏。その前てこ精神で、生コンプラントの事業継承でも、年長者と若者の役割をしっかりと把握されている。事業継承も上手くやり回してくれるに違いない。
そして植田氏は、自社だけでなく、業界に対しても切実な思いがある。
「これから先、人手不足が目に見えてるから、言葉のことや免許のことやら、いろいろと課題はあるけど、なんとか外国人労働者を使うポジションがないかなぁ…と思うている。まぁ、これはウチだけのことやないし、ウチだけではどうにもならん話やと思うけど…」。業界や人に対するやさしさに頭が下がる。
ご自身は『もう歳やから…』とおっしゃるが、自社の経営だけでなく業界の行く末も憂う植田氏は、同社だけでなく、広域協組のなかでも、かつて理事・ブロック長を務められた方だ。これからも、独自の視点と歯に衣着せぬ物言いで、会社の若手に、また業界に本音で物申していただきたい。
『社員はみんな友達みたいな、アットホームな会社』
総務部で事務全般を担当する西田さんは、同社に入られて、11年。若手ではあるが仕事をバリバリこなす中堅どころだ。
実は以前から、お母様が同社の経理を長く担当されており、今はその後を継ぐべく頑張っておられる。
「この会社は、堅苦しいとかものを言いにくいとかは、一切ありませんよ(笑)。社員は30代、40代、50代の人がそれぞれ1/3ずつくらい。ほど良いバランスで、冗談も言い合いながら楽しくやっています」。開口一番、明るく答えてくれた。
趣味はバイクで、現在は4台所有しておられる。
「ホンダのカブとハンターカブ、ヤマハのブロンコ、それにハーレーのスポーツスターというバイクに乗っています。最近は、あまり遠出はしませんけど、それでも休みの日はツーリングに行ったり、整備をしたりしています」と、休日も充実されている様子。
「先日も日帰りで名古屋へ行ってきました。日帰りだとお酒が飲めないのが残念ですけど」と笑うと、隣でそれ聞いていた植田社長が、「酒は、俺が家で飲んどいたるわ」と笑う。
立場も年齢も違うが、仲のいい友達のように受け答えする西田さんと植田社長。アットホームな社風が従業員からもうかがえる。
経理の仕事をしっかりと受け継いで、こんどは有給休暇を取って、ぜひまた遠出に出かけていただきたい。